楠木の大雁木

JR横川駅から左へ。国道54号を渡り、横川本通り商店街を抜け
横川橋の手前を左に曲がると、雁木(がんぎ)が続く。
数カ所の雁木を経て、この「楠木の大雁木」が現われる。

桜の大木が二本、雁木の上に覆い被さり濃い影をつくる。
強い日差しを避けて、川の流れを見つめていると、
何もかも忘れてくる。

横川周辺位置図

対岸の寺町側にも桜の並木が続き
川を挟んで花見の時期は特に素晴らしい。

ある日、雁木の近くで舟の上から、川底をすくっている人がいた。
声を掛けてみた。
「すみません。何をしているんですか」
顔を上げてこちらを見る。意外と若い人である。
「シジミを採っとる」
「よく採れるんですか」
「あまり採れん」
「採る時期はあるんですか」
「ない。一年中、採っとる」
「そうですか。ありがとうございました」
「ああ」
元気がいい人である。

太田川はここから本川と天満川にわかれて下る。

対岸の基町側は芝の土手が続き
家族連れや若いカップルが来て、ゆったり流れる太田川に溶け込んでいる。

 太田川流域は、山がちで平地が少なく陸上交通の発展しにくい地形であったため、近世を中心 に大量輸送機関として、舟運が発達しました。この楠木町を含むデルタ部の河岸は、江戸時代か ら昭和の初めにかけて太田川の舟運で特に栄えた地域で、オオブネや、肥船、広島湾岸部域か ら小さな機船も一部入り、他方、筏流しも往来し、当時でも、荷揚げ作業をする人達でにぎわいを 見せていました。当時の主な荷物は、薪炭、鉄、紙、枕木材(明治以降)等で、荷揚げ場は雁木と 呼ばれ、船着き場に階段をつけた桟橋が利用されていました。雁木は、現在でも太田川のデルタ でわずかに見ることができます。なかでも、明治の中頃になって改修された楠木の大雁木はとり わけ大きく、戦前までは横川駅から引き込み線も敷かれ、舟運の一中心であった当時を物語ってい ます。
                   「図説広島市史より」