消えた山すそ



 団地が、ふもとから山腹に向かって伸びていく。平地の少ない広島では、
都市の拡大は、海の干拓、埋め立てや山地の開発によって支えられている。

 西区と佐伯区の境にそびえる鈴ヶ峰は、山地の開発の典型であろう。
 なだらかな山すそを持つ鈴ヶ峰は、その周りを住宅地などに造成され、新しい
町が生まれた。市街が初めから山腹に続いていたと錯覚させられるほどである。
 
古来、人間は、新たな活動の場を絶えず生み出してきた。
川を治めてきたことも、海を干拓、埋め立ててきたことも
山を切り開いてきたことも、すべてそうだった。
 同時に人間は、それまでの営みを過去の出来事として、次第に自らの記憶の
底に埋もれさせてもきた。
 
古代の鈴ヶ峰は、緩やかに海に続いていた。その鈴ヶ峰に、尽きない趣を感じ
取った人も数多くいたであろう。
    
佐伯山卯(う)の花持てる愛(かな)しきが 手をし取りては花は散るとも
 
万葉集の詠み人知らずの歌だが、この「佐伯山」を鈴ヶ峰とする説がある。
歌の意味は、「佐伯山で卯の花を持っている恋しい人の手を取りさえすれば、
その花は散っても構わない」という思いを込めたものといわれる。
 山すそのどこかに、白い卯の花を手にしてたたずむ美しい女性がいたのだろうか。

だが、今の鈴ヶ峰の姿は、そんな山すそなど知らないと言っているようだ。
                                      (公文書館

 

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