ひ ろ し ま 漫 歩

           灯台公園   西区草津新町一丁目にて



細長い石組みの端に、白い灯台が立っている ここは昭和四十六年から草津、井口の海岸を埋め立てて造成された、広大な土地の一角にある西部埋め立て第七公園。草津沼田道路のそばである.幾何学模様を描いて横たわる石組みと、すっくと立つ丸い塔との対象は、公園の鮮やかなアクセントとなっている。

この辺りはもともと草津港の船だまりであった。灯台は港の防波堤の突端にあったものだが埋め立てにより防波堤の一部とともに残され公園となった。昭和57年のことである。灯台と防波堤がそっくり公園に取り込まれたのは全国でもここだけではなかろうか。

草津は早くから開けた所で厳島(いつくしま)合戦のとき、毛利元就はここを水軍の根拠地とした。 その後、広島に城下町ができてからも港のなかった広島の海の玄関として重要な役割を果たしてきた。

また、草津の沖合は魚介類の好漁場でなかでもカキは美味で知られていた。大消費地である広島城下の発展につれてその台所を預かる草津には、多くの魚介類が水揚げされるようになり、明和年間(1764〜1771)には本格的な魚市も開かれ始めた。

草津港が漁港として整備されたのは、文政6年1823年のことで港は現在の草津南1丁目辺りにあった灯台は戦後しばらくして、漁港が西へ拡張されたときお目見えした。以来、無数の出船入り船を見守ってきた。

11月1日は灯台記念日。
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