ひろしま漫歩 

日渉園跡   西区三滝本町二丁目

 可部線三滝駅の西方、三滝山のふもとに、かつての藩の薬草園・日渉園(にっしょうえん)跡がある。百八十年余り前、藩医・後藤松眠(しょうみん)が藩命によって開いたものだ。多くの薬草が、性質によって区分けして栽培されていた。幕府を批判して追われる身となった蘭学者・高野長英が、一時ここにかくまわれていたともいう。
 薬という字は、草と楽からなり、病気を治す草を意味する。中国から伝えられたものも多いが、長い間の経験によって、薬となる草根木皮が選び出されてきた。江戸時代には、薬に用いる植物などを研究する本草学が盛んであった。薬草は多く山野に求めたが、幕府や藩では薬草園を設けて栽培した。この日渉園もその一つであったが、明治初年には廃園となった。
 
昔は、各家庭には漢方の置き薬があり、症状に応じて使用した。年に一度取り替えにくる薬売りがお土産にくれる紙風船が、子供たちの楽しみだった。また、全国を巡ってやってくる虫下しの「大阪天王寺、セメン菓子」の売り声に、子供がついて歩いたものだ。一方、家には代々伝わる治療法があった。やけどにアロエ、せきにキンカン、骨をのどに掛けたら白い花のホウセンカの種、はしかに伊勢エビの甲羅、腹痛に梅肉エキスといった具合で、めったに医者には掛からなかった。今日でも、ハブ草やゲンノショウコなどの漢方薬の愛用者は多い。
 日渉園も、今では池の跡や石橋などに、当時の面影をしのぶことしかできない。寂れた跡に、薬草でもあるツワブキの花が彩りを添えていた。一面に茂る草草の中には、かつて栽培されていた薬草の子孫が、脈々と生き続けている。

                     (公文書館)
戻る