ひろしま漫歩

男明神島  井口明神二丁目にて

男明神島
 宮島線井口駅は、もとは海端であった。電車の窓から手の届きそうなところに、鳥居と祠(ほこら)と老松のある男明神島が見えていた。そばの女明神島と併せて夫婦島と呼ばれてきた。
 自然の織り成す美しい風景は、広島名勝の絵はがきに必ず加えられていた。満月に照らされて輝く金波銀波に、島影が黒く浮かぶ素晴らしい眺めは、古来、月の名所ともされてきた。「海水浴場の桟敷が、月見客でいっぱいになりましたよ。名月をめでながら、遅くまで酒を酌み交わしたもんですがの」と、お年寄りの思い出は尽きない。
 男明神島に神がまつられた歴史は古い。昔、厳島神社の用材がこの地に集められ、印を付けて運び出されていたので刻印の明神といった。18世紀末、新開地造成の時、己斐・旭山神社の分身がその守護神としてここに合わせまつられ、小己斐明神と呼ばれるようになった。
子授けの神としても敬われ、子乞(ご)い明神ともいわれてきた。
 女明神島は、観光道路(現在の国道2号)敷設の際に姿を消した。男明神島も西部開発事業で消えかけたが、地元の強い要望で残されることになった。井口明神の公園の島がこれである。築山に池を巡らした回遊式庭園のようだ。しかし、池の水は水路で引いた海水で、れっきとした海に浮かぶ島であり、満潮時には、いその香りが漂ってくる。
 静かな海面に美しい影を映していた鳥居は既になく(注)、祠が残るだけだ。神様も井口・大歳神社に移られて久しい。だが、島は昔の面影を今にとどめ、明神の名は、新生の地の町名として、いつまでも生き続ける。
                 (公文書館

(注)現在、鳥居は復元されています。

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